おはよう
今日も真面目なことを書こうと思う。
意識高い系について
意識高い系(いしきたかいけい)とは、自分を過剰に演出する(言い換えれば、大言壮語を吐く)が中身が伴っていない若者、前向きすぎて空回りしている若者において自分の経歴・人脈を演出し自己アピールを絶やさない人などを意味する俗称である。
ウィキペディアの言い分は正しいのだが、
経歴や人脈を執拗にアピールするのは「意識高い系」の特徴です。TwitterやFacebookといったSNSのプロフィール欄に、大学名や社名、所属団体etc...プロフィールを載せているだけのつもりでも「自慢している」と受け取られてしまいます。
頭の先からつま先までブランドを身につけていたいという考えがあります。 意識高い系男子は身なりで相手のことを格付けすることもよくあります。 プライドが高いため、自分も良いものを身につけて格上に見られたいという気持ちを持っています。
寝てないアピールをしたい意識高い系の第一声は 「昨日どれくらい寝た?」 です
一般的に言われている意識高い系はこんな感じらしい。
しかし、社会に出てから2年間。私がやってきた意識高い系はこんなものではない。
今日は、私の紹介する「真の意識高い系」を覚えていって欲しい。
まず、真の意識高い系の大原則として以下のことを常に考えている。
・受動的な考えを捨て、能動的・自発的に働きかけること
・合理的な選択をする
そうすることで一般的に言われる意識高い系への誤解を解いていきたい。
上述の大原則を踏まえて真の意識高い系は、
・SNSをやらない
・夜はちゃんと寝る
・高級ブランド物にはこだわらない
この3つが一般的な意識高い系とはかけ離れている。
意識高い系が良いか悪いかはさておき、皆さんの意識高い系への誤解を解いておきたい。
それでは順に説明していこう。
SNSをやらない
SNSで人脈を形成することを捨て、まずは自分の成功に必要な作業だけに注力する。それが真の意識高い系である。
例を挙げると現在の私は、有名ブロガーの坂内学の真似を兼ねて毎朝ブログの投稿、エンジニアとして腕を磨くためにWebサービス開発とゲーム開発に注力している。
そのためSNSはブログ投稿後の発信以外は須く使用していない。
興味深い記事があったので載せておく
英国で15歳の若者の3人に1人以上は、1日6時間以上ネットを使い、そのほとんどの時間をSNSに費やしている。
https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-43616320
私が言いたいことはSNS自体を否定することではなく、
だらだらとタイムラインを眺める時間をどうにかしろということだ。
真の意識高い系は自己陶酔に勤しむことに忙しいため、SNSで他人の吐き溜めたストレスに構っている時間はない。
私もつい2ヶ月ほど前まではTwitterのタイムラインを眺めて夜の睡眠時間を2時間ほど削っていたが、
これ程に無駄な時間はない。
もちろん持論や有益な情報の投稿のみの使用であれば十分意識の高い使い方と言えるだろう。
しかし何も意識をせずにSNSを使えばそれは「欲しくもない情報が延々と流れ続けるテレビ」を見ているのと同じこと。
意識高い記事で「テレビは見るな!」という批判をよく見かけるが、以上のことを踏まえて似たような呼びかけを私からも行いたい。
「Twitterのタイムラインは見るな!」
夜はちゃんと寝る
「意識高い系ってこういう人だよねー」系の記事で散見される
寝てないアピール
真の意識高い系の考えは真逆だ。
睡眠を取ることを一番重視する。
それもそのはず、記憶というのは睡眠を通してはじめて定着する。
睡眠を十分に取らずしてどうやってクリエイティビティを発揮するというのだろうか。
恐らく、このような通説を作ったのは「高学歴高収入の意識高い系」だろう。
彼らは若いうちに昇進するため会社で猛烈なほど作業を行い、終電で帰る。そして休日出勤も当然のようにする。
こんな生活をしているうちに自己陶酔に陥ってしまい、結果的に口を揃えてこう言う。
「俺今日も寝てねーわ」
しかし、近年彼らのようなエリートを揶揄するような成功者が多い。
「学歴は関係ない」「仕事するのはスマホだけで十分」「会社に依存しない」「大企業も終身雇用を保証はしない」
散々な言われようだが、彼らだっていつかは自分のビジネスを持つために猛烈な作業をしているのだ。その部分は是非とも見習うべきだ。
しかしながら意識高く行った仕事の内容が記憶に定着しないのは元の木阿弥。
「高学歴高収入の意識高い系」も睡眠時間を見直してみるべきだ。
高級ブランド物にはこだわらない
ルイヴィトン、グッチ、コーチ、ドルチェ&ガッバーナ
色々と高級ブランド品を持っているスーツ姿のお兄ちゃんは一般人から見ると「意識高い系」に分類されるらしい。
しかし、それは恐らく勘違いだ。
上記の高級ブランド品を見せびらかすように使用しているのは、「意識高い系」ではなく「マイルドヤンキー」だ。
なぜなら、この話がどれだけの意識高い系の人に認知があるかは定かではないが、
ルイヴィトンの財布やカバンは修理費が安く、自分の世代から息子、そして孫の世代まで長持ちするからこそ10万、100万円と高いお金を出して買う商品だ。
だから、数年単位で買い換えるのはあまり好ましくない使い方とも思える。
そして何よりも「真の意識高い系」の大原則である「合理的な選択」ができていない。
そのため余程そういった高級ブランド品が好きでなければ「真の意識高い系」はもっと質素な札入れを使用するだろう。
ちなみに私が一番好む品は、
「その道のプロである友人が作成した世界に一つだけの私の財布」だ。
これを見せびらかすことでモノが良いと言うだけでなく、優秀な人材が友人であること、
すなわち人的資産を見せびらかすことができる。
古来の意識高い系と変わらない部分
カタカナ語を使う
マイノリティ、マネタイズ、ベネフィット、バイアス
などのカタカナ語は使用する。
私はこれを使うことで自分の有能さをアピールしている以外に会話している相手がそういった言葉を理解しているか否かで
ビジネスに対する意識の高さのふるいにかけられることもメリットだと思っている。
そういった知識のない人を卑下することはないが、同じ言葉を分かり合える人だと
「こいつ休日は自己啓発本読んでそうだな」
と思い、もっと踏み込んだ話ができる。そのため私はわざとカタカナ語を使う。
特に私の在籍している会社のエンジニア同士の会話だと訳の分からないIT用語が常に飛び交う。
そのたび私の知的好奇心が刺激され楽しいことこの上ない。
そんな風にカタカナ語は「真の意識高い系」である人間を育ててくれていると言っても過言ではないだろう。
MacBookを使う
ここは一般的に言われている意識高い系と変わりない。
「スタバでドヤ顔MacBook」とよく揶揄されているものだ。
ここで紹介したいのはその理由。
先程も書いた通り、「真の意識高い系」は合理的な選択をする。
私はエンジニアであり、必要なソフトウェアを使用するのに一番適しているMacBookを選んだ。
まさに「合理的な選択」をしたのである。
そのため意識高い系がスターバックスコーヒーでドヤ顔MacBookをするのにもちゃんと合理的な意味がある。
立地的にも駅に近く移動距離を短く済ませられWi-Fi・電源も使用できる美味しいコーヒーが飲める環境を319円で使用できる「スターバックスコーヒー」でクリエイティビティを発揮するのにおいて必要なツールを非常にシンプルな形で提供してくれるUNIXベースで作られたMacOSを使用できる持ち運び可能な唯一のマシン「MacBook」を使用してその結果、なんて合理的なんだろうと思いドヤ顔になって作業する。
という意味が込められている。(ドヤ顔は合理的ではないが)
意識高い系が「スタバでドヤ顔MacBook」をしてしまう理由がお分り頂けただろうか?
なので、真の意識高い系だからといって逆をついてWindowsに切り換えることはできない。
しかしながらWindowsがMacOSよりもクリエイティブな活動に向いていることが証明されれば、
「ドヤ顔MacBook」は「ドヤ顔SurfaceBook」に置き換わる日がやってくるかもしれない。
まとめ
以上、私が感じた皆が思っている意識高い系と私の感じる意識高い系の相違だ。
というか、私自身が「これこそ意識高い系のやることだろう?」と思った私のまとめのようなものになってしまったが、
最後に「真の意識高い系」をまとめると、
・SNSをやらない
・夜はちゃんと寝る
・高級ブランド物にはこだわらない
・カタカナ語を使う
・MacBookを使う
の以上5つだ。
意識高い系は「私は他のヤツとは違う」「私は成功者になりたいのだ」という気持ちからこのような行動を生む。
恐らく「意識高い系」に憧れて意識高い行動を始めた者はいないはずだ。
なので社会では意識高く頑張ったことではなく結果を出したことが評価される。
だから私たち意識高い系は努力アピールすることなく、その努力を結果で示していったらいいのではないだろうか。
意識高く頑張り、結果を出したときに初めて「意識高い系」から「意識の高い人」へと変わることができるはずだ。
ここまで読んでくれてありがとう。
他の記事も読んでいただけると幸いだ。