運営者:ハラカズヤの全プロフィール

 

11306文字にもなるこの文章は、

当サイトの運営者である「ハラカズヤ」が生まれてから20年になることを記念して記述したものである。

 

生きてきたまま書いていたら、非常に面白い出来になった。

それと共にこのブログの方針なども併せて紹介されているのでぜひ最後まで読んでいただきたい。

 

 

 

 

 

※この文章は長すぎるので簡易版を読むことを強く勧める!

ハラカズヤのプロフィール(わかりやすい版)
2020.2.18
おはよう。   今日はプロフィールを書いていこうと思う。   過去に運営者の全プロフィールという1万文字を超える私のプロフィールを書いたのだが、 多分長くてなにを伝えたいのか分からない文章になっているだろうから、今回はそ…...

あなたにとってこの文章は長く苦しい試練となってしまうことだろう!!

それでも良いという覚悟があるものだけこの先に進んでいただきたい!!

 

 

 

 

まえがき(読み飛ばし可)

 

私が20年間、何不自由なく生きてこれたのは、家族や友人、私と出会った全ての人やコンテンツが私を支えてきてくれたからである。

まず感謝の気持ちを書きたい。

 

いつも暖かく私を見守ってくれた母、養ってくれた父、困った時に支えてくれた3人の姉、そして中学時代から仲良くしてくれている「将来の声優、編集長、秀才の音ゲーマー、二桁勝利のまさし、自動車をこよなく愛する芹澤優オタク、生粋のアルティメットニート、そして1週間に1度は会ってくれる最近小倉唯を崇拝し始めた魂魄妖夢推しの未来の小説家」、高校の野球部の皆、鉄道会社の16班の皆、私が配属された駅を今も支えている皆さん、私をエンジニアに導いてくれたイマドキトキメキエンジニアさん、プログラミング学習をサポートしてくれた先生、現在の会社の皆さん、そのほか私の人生に関わってきた全ての人にまず感謝を申し上げます。

 

そして私が苦しい時に側にいた、アイカツシリーズ、プリティーシリーズ、STARANIS、AIKATSUSTARS!、iRisWake Up,Girls!、アマガミ、RacingLagoon、BanG Dream!、少女⭐︎歌劇レヴュースタァライト、ラブライブシリーズ、そのほかも数え切れないほど私の人生を支えてきたコンテンツがあります。

その全てに感謝申し上げます。

 

並びに、その私の人生の過程から生まれた201911月現在171の持論、りなちー、ドリームプラネット、ボイスアクトレス!、アリスインワンダーランド(仮)、Youtuber経験、エンジニア転職等の各種オリジナルコンテンツ、イベントにも感謝申し上げます。

 

また、私がエンジニアの世界に踏み出すことが出来たのは「Ruby」の作成者であるまつもとゆきひろ氏のお陰です。

そして、そのフレームワークであるRubyon Railsを作成して下さったデイヴィッド・ハイネマイヤー・ハンソンさん、その学習に適したチュートリアルを作成して下さったマイケル・ハートルさんに感謝致します。

 

今後もRubyJavaScriptDockerなどの私の身近にあるインフォメーションテクノロジーは私をこれからも楽しい未来へ導いてくれるでしょう。

 

そして最後に今の私を育ててくれた私自身にも20年という節目で1度お礼を言いたいと思います。ありがとう。

 




 

 

 

ハラカズヤは生まれた

 

堅牢な闇から解き放たれし、弱きWarrior...

その名は「ハラカズヤ」

 

ハラ家の4番目に長男として生まれた...(上3人は姉)

そんな男がJapanに生を受けたのは、2000213日のことだったのさ...

 

ハラカズヤは...弱きWarrior...

...生まれてまもなく病気にかかり......更には喘息持ちだったので...

まさに「Zako of Zako...

生まれた時からDyingだったのさ...

 

 

そんな私が退院した後、私はガリガリに痩せ細っていたそうだ。

それを可哀想に思った私の母は、美味しいご飯をたくさん作り、それを私に食べさせた。

 

 

そして、私は「デブ」になった。

 

ここからそのデブである輪廻は、15年に渡って続くことになる。

 

 

喘息+デブという最大の負債を人生序盤で抱え、ほぼオワコン状態のハラカズヤだったが、

幼い頃は車を愛して止まず将来の夢は「おもちゃ屋さん」だった(何故)

 

そんな私が35歳ぐらいまで好きだったものは、アニメの「頭文字D

しかし、当時の私の世代では頭文字Dは古いものでもあったため、語り合える人はなかなかおらず当然友人は少なかった。

 

それから1人だけ頭文字Dの好きな友人を見つけて、その後私は順風満帆の幼稚園ライフを送ることができた。

 

2000213日生まれる

・生まれて直ぐに病気で死にかける

・車を愛していた

・頭文字Dにハマった

ここまでが5歳までの出来事だ。

 

 

小学校時代

 

それから私は小学校に入学した。

 

小学2年生の時に私に転機が訪れる。

 

それは、私と歳が10個離れている姉が高校で野球部のマネージャーになったことだ。

はじめこそ私は野球に興味が無かったが、

姉の高校の選手でとても尊敬する人がいて、私は彼の打ったホームランから心機一転、

自分自身も野球をやりたいと思い、少年野球チームに入った。

 

そして私は、重い身体を揺らしながら辛い練習も乗り越え、気づいたら野球をやるのが当たり前になっていた。

 

そのぐらいに私の喘息は完全に治った。

まさに健康的な日常が生んだ思わぬ副産物だ。

 

しかし、「デブ」であることは治ることはなかった(痩せなかった)

 

その一方で、私は野球をやりつつも頭文字Dから引き続き、アニメオタクだったので小学4年生から漫画を描き始める。

3人の姉が描いていた影響もあるだろう。

 

 

・野球を始める

・漫画を描き始める

・喘息が治る

・デブは治らない

ここまでが12歳までの出来事だ。

 




 

中学校時代

 

それから私は中学校に入学する。

そこで私は酷い中ニ病に悩まされ、学校の成績は中学2年時に評定平均45中、「18」にまで落ち込んだ。

 

その当時の私の将来の夢は、35歳にスーパーカーに乗り公道で300km/h出して横浜の海に飛び込んで死ぬ」こと。

私はRacing Lagoonというゲームに酷く影響され、中ニ病になったのだ。

 

 

そして私は中学校でも野球部に所属し野球を続けていたが野球部では仲違いもあり、あまり面白くは思わなかった。

が、結局最後まで続けた。

 

その後、私は高校受験は頑張らねばと気合いを入れて、成績は18から30まで持ち直す。

そして、県内のわりと良さげな工業高校に入学することができた。

 

それと中学3年時のクラスはとても居心地が良く、現在も度々会うような友人を7人ほど作る。

その頃私はアニメオタク生活を若干再開し、「アマガミ」という恋愛シュミレーションゲームのアニメにハマる。

 

ちなみに「お前が何のアニメ見てたとかどうでも良いよ!」と思うかもしれないが、この「何のアニメを見てた」という話はここから重要度を増すのである。

 

 

・中ニ病になる

Racing Lagoonにハマる

・現在も会う友人が7人できる

・アマガミにハマる

・県内の工業高校に進学する

ここまでが15歳の出来事だ。

 




 

 

ここからは1年刻みでお送りする。

 

高校1年生

 

まずは高校1年時の話だ。

私は高校も変わらず野球部に入る。というよりか高校野球の選手に憧れて始めたのだからこのためにここまで野球をやってきたとも言える。

 

当時も変わらずデブだった私(身長168cm 体重95kg)だったが「ここで引き下がる訳にはいかない!」と重い身体を揺らしながら必死になって部活の過酷な練習を乗り越えた。

 

 

そして入部から過酷な練習を乗り越えた甲斐あって3ヶ月で私の体重は20kgほど落ち、75kgになった。

ついに最大の負債であった「デブ」を無事に引退することができたのだ!

 

それはさておき、最初に私の高校で野球部の入部希望者は、40人ほど居たのだがそれが最初の3ヶ月で半分の20人まで減った。

一体何があった練習の過酷さや上下関係の面倒さに半分もの人が部活を辞めてしまったのだ。

 

そんな不安的な部員数のなかで奇しくも生き残った、たった1人のデブ(他のふくよかな生徒は皆辞めてしまった)、ハラカズヤを同級生達は称賛してくれて「お前がここまでやれる奴だとは思わなかった!絶対3年間続けろよな!」と叱咤激励され、

本当に私はこの高校に入って良かったと今になっても思う。

 

それもそのはず、私の中学時代は野球部は前述の通り、仲違いなどもありお世辞にも面白いとは言えなかった。

しかし、その頃の野球部の記憶は刷新され、本当の意味で「私がやりたかった野球」に巡り合うことが出来たのだ。

その時、私は必ず3年間野球部で活動することを心に誓った。

 

 

そんな荘厳な話の後にクソみたいな話になってしまうが、

 

 

その頃私は「太鼓の達人」にハマる。

 

部活以外の時間を使って、新曲の譜面を覚え、部活後やオフの日はゲームセンターで大半の時間を過ごした。

結局、段位道場(太鼓の達人の認定試験のようなもの)では6段までしか合格できなかったが、今でも友人とゲームセンターに行くと一芸として披露できるレベルまでになった。

 

 

・工業高校に入学

・高校野球が始まる

・叱咤激励され3年間頑張ることを誓う

・太鼓の達人にハマる

ここまでが16歳までの出来事だ。

 




 

高校2年生

 

それから高校2年生になり、「そろそろ彼女でも欲しいなぁ」と思う思春期真っ盛りの16歳ハラカズヤ少年に思いもよらない転機が訪れる。

 

結論から言うと私は、この約20年間1回も恋人がいたことはない!

 

 

それもそのはず、アニメの沼に深くハマったからである。

 

ここで「クソな話になる」と思ってブラウザバックしないでほしい。

ここからがハラカズヤストーリーの真骨頂だ。

 

 

 

私は今も忘れはしない20161022日、高校2年生の秋、

平凡でちょっとアニメが好きぐらいの野球少年ハラカズヤは

 

女児アニメ「アイカツ!」にハマる。

 

私はアイカツ!に出会い、人生を大きく変えたのた。

 

このアニメのどんなところに惹かれたか簡単に言うと

本編3話でトップアイドル神崎美月が「トップアイドルであるにも関わらずトップで居続ける努力」に私は完全に虜になったのだ!

 

 

それから私の「アイカツ主軸ライフ」が始まる。

 

すごい生活、今始まる

 

まず、201610月時点でアイカツの話数はシリーズ総計200話だった。

 

それを全て見るために、

私は毎朝4時に起き、4話見進めて学校に行き、部活を終えて帰宅して明日早朝にアイカツを視聴するために21時には寝る。

と言う生活をアイカツの現行の話数に追いつくまで3ヶ月間、1日も休むことなく続けた。

 

まさにこのアイカツのある日常が私の全てを変えたのだ。

 

世間的にも「アイカツで人生が変わった」という人は意外とたくさんいるが、私もその中の1人だ。

 

それから私は「アニメには無限の可能性がある」と信仰するようになった。

 

 

 

・アイカツに出会う

・毎朝4時起き生活を3ヶ月続ける

ここまでが17歳までの出来事だ。

 




高校3年生

 

それから私は高校3年生になり、高校野球も最後の年になった。

 

結局私の実力不足で夏の大会はメンバーに選ばれることは無かったが、最後は応援団長としてスタンドから声援を送った。

そうして私の10年間に渡る野球人生は幕を閉じた。

 

今でも草野球チームに参加したり、プロ野球を家族で観戦するなどして野球は私の日常にある。

私は、柔道や剣道と同じく野球も「生涯スポーツ」であると考えている。

まさに私の人格形成は野球というスポーツによって行われたと言っても過言ではない。

 

 

そんな荘厳な話の後にまたもやクソな話になるが、

 

野球部を引退したあと私は、アイカツの対極(ライバル)に存在する「プリパラ」というアニメに出会う。

 

「プリパラ」は、「プリパラ」という独自の世界観があり、私はそこに惹かれた。

このアニメも「プリティーリズム」というアニメの続編であり、(現在はプリ☆チャンというタイトルで続いている)201910月現在でシリーズ総計400話近くあるが、それも難なく見終えた。

 

※ここからは真面目な話だ

 

それから私は高校3年生にもなったので、就職活動の時期がやってくる。

ちなみに工業高校の就職と進学の割合は、5:5。ちょうど半分ぐらいである。

 

私の高校はとてつもなく優良企業が揃い踏みで、私はその中でも1番給料や福利厚生が良いとされる「鉄道会社」を受験する。

かなりの高望みであったし、私の高校からは10年以上内定者が出ておらず、狭き門だと言われていた。

 

しかし、私は「アイカツとプリパラのパワーがあればいける!」と本気で思っていた。

 

そしてその思いは功を奏し、2017930日、私はその鉄道会社から内定を貰う。

まさに誰もが予想だにしない展開に私は同級生から大いに称賛され、自分のことをエリートと勘違いし始めたのもこの頃からだった。

 

 

それから私は前述のプリパラのメインキャラクター6人を務める、声優とアイドルのハイブリッドユニットの「iRis」にハマる。

そして私は「アイドルとはなんて素晴らしいのだろうか」と思い、自分自身も人に何かを提供できる人間になりたいと思い、

 

 

YouTuberになった。

 

 

 

 

 

結果的にこのYouTubeチャンネルは私が鉄道会社に入社すると共に無期限活動休止となったが、

今思い返すと、あの頃は高校で皆から「おい!YouTuber!」ともてはやされて充実していたなと思う。

 

 

10年間の野球人生が幕を閉じる

・プリパラにハマる

・大手鉄道会社から内定

iRisにハマる

YouTuberになる

ここまでが18歳までの出来事だ。

 




社会人1年目

 

そして私は鉄道会社に入社した。

さすが大きい会社であって入社同期は、プロフェッショナル職(現業職)だけでも151人居た。

全員の自己紹介で丸々1日使うほどだった。

 

その時の自己紹介で「入社同期の数がポケモンの最初の図鑑の数と同じ人数!」と言っていた人がいたのを今でも憶えている。

 

 

そして研修が始まったのだったが、その研修の際の班がこれまた最高に面白かった。

 

詳しくは後述するが、私は鉄道会社を1年後に退職している。

それでもその班の同期や駅に配属された時の同期とは今でも縁がある。

それぐらい楽しい社会人1年目の生活だったのだ。

 

 

それでは本題に戻るが、研修では「宿泊研修」というものがあり、34日で静岡県に宿泊して研修を行ったのだが、この時に私の班は完全に打ち解けることができた。

特にありがたかったのは、高卒入社の当時18歳の者は私を含めて4人居たが、そのほかの大卒・専門卒入社の4人は「気を使う必要はないよ」と言ってくれたおかげで、より協力して研修を行うことができたことだ。

中でも泊まり研修の夜にやった「ベット争奪戦のUNOや指スマでの決戦」は社会人になっても子供心を失っていないことを感じさせてくれる最高の時間だった。

 

そんな背景もあり、私は研修開始から1ヶ月後の駅配属の際に彼らと別れるのが本当に寂しかった。

しかし、駅配属後も良い同期や先輩、上司に巡り合うことができ、順風満帆の駅員ライフを送っていた。

 

月の残業時間こそ、平均して40時間程度あったが、私は有給を使いまくって「平日5連休」を作って比較的空いている京都を観光するなどして楽しい生活を送っていた。

 

 

しかし、そんな私はこの会社を1年後に退職している。

 

ここからは順風満帆の駅員ライフをしていた私に何があったのか書いていく。

 

思わぬ転機

 

話は変わるが、上述の「私の人生を変えたアイカツ」と「高校3年時に虜になったプリパラ」の影響で私は高校3年生頃から「フリーのイラストレーター」に憧れている節があった。

 

それから鉄道会社に入社後も副収入の作り方などを調べていたのだ。

 

 

それから私が辿り着いたのは、「インターネットを介して副業すること。」

私は高校3年生の時にYoutuberをやっていたこともあり、コンピュータの知識にはそれなりに自信がある方だったので、「暇な時間使って金稼ごう!」と考えたのだ。

 

そうして私が出会った職業が、現職でもある「ソフトウェアエンジニア」だ。

 

しかし、当時の私は大企業である今の会社を辞める選択肢は浮かばなかったし、あくまでも副業としてエンジニアという仕事に興味を持った。

それから、考えるよりも先にプログラミングスクールの体験学習に申し込み、その時も「副業すること」を目当てで話を聴きに行ったのだった。

 

 

そしてこのプログラミングスクールの体験学習に行った日が奇しくも、

私がアイカツに出会った20161022日のちょうど2年後の

 

20181022日だったのだ。

 

10月22日は私の運命の日なのかもしれない。(はい)

 

 

それから私はプログラミングスクールの体験学習に行き、そこで出会った「26歳年収800万円のイマドキトキメキエンジニア」に惹かれた。

私はその彼の言動や実績から「本業でエンジニアになりたいかも、、」と思うようになっていた。

 

さらに、私は過去に「大手鉄道会社に入社した」という自負があったし、(自称エリート)なんかよく分からないが「いける!」という確信があった。

 

それから私は「26歳年収800万円イマドキトキメキエンジニア」にプログラミングスクールに通う旨を伝え、

20197月にエンジニアに転職するキャリアプランを立てた。

 

 

ここからもう少し細かく分けて話していく。

 

 

ここまでをまとめると、

・鉄道会社に入社

・最高な同期ができる

・副業収入を作ることを目指す

・イマドキトキメキエンジニアに出会う

20197月にエンジニアに転職するプランを立てる

これが、201810月までに起こった出来事だ。

 




転職前に色々やった

 

それから私はプログラミングスクールの講師が決まるまでの3ヶ月間、転職までにもっと自信をつけておきたいと思いずっと先回しにしていた「ダイエット」を始めることにした。

 

確かにデブは高校1年生のときに引退したのだが、

私は高校の部活引退後、体重が5kg増えて80kgになっていた。

 

 

当時の私の身長は175cm「標準体重である68kgまで12kg落とそう!」と意気込んだ。

 

ちなみにその際に開設したのが、このブログである。確かタイトルは「女装したいデブ男の夢日記」みたいなタイトルだったと思う。

その跡地を今は「日刊ハラカズヤマガジン」として使っているのだ。

 

 

 

そうして私は、1ヶ月半で見事に80kgから70kgまでダイエットを成功させた。

 

 

 

 

※閲覧注意

 

↓1ヶ月半後

 

 

しかし、残念なことにこのダイエット後に気を抜いていたら7kgぐらいあっという間に戻ってしまい、今の体重は77kgぐらいである。

 

 

そんなことをしているうちにプログラミングスクールの講師が決まり学習が始まる。

私は着実にエンジニアになれる確信をつけていった。

 

そうして年が明け20191月になる。

 

 

・ブログを始める

10kg減のダイエットに成功

・プログラミング学習が本格的に始まる

ここまでが2018年までの出来事だ。

 




 

2019年がやってくる

 

新年早々、私は新しいことでも始めようと思いアニメ「Wake Up,Girls!」を見始めた。

 

このアニメに登場する「Wake Up,Girls!」というアイドルユニットは、リアルのアイドルとして活動もしており

前述の私の好きな声優アイドルユニットのiRisの後輩のユニットでもあるため、思いは一層高まっていった。

 

しかし残念なことにWake Up,Girls!」201938日に解散のライブを控えていたのだった。

 

私は「どうしてもっとWake Up,Girls!の良さに気づくことが出来なかったんだ!」と嘆いたが、

私がハマり出したときには、ちょうどファイナルツアーの真っ最中で「こうしてはいられない」と思い、私は11日にハマったアイドルユニットのライブにファン歴たった2週間後、115日に初ライブに行ったのだった。

 

ライブを見たその日に、私は「どうして彼女たちは終わりを控えているのにも関わらずあんなに輝いているのだろう」と深く考え、

私は、7月に会社を辞めることを控えて、お座なりに業務をおこなっていた自分に嫌気が差した。

 

そして、私はその日の内に母親に今すぐ会社を辞めることを告げ、その1週間後に駅長(直属の上司)に3月までに退職することを告げた。

私がうやむやにしていた退職を決断できたのは、本当にWake Up,Girls!のおかげである。

 

その後も私は実際に見るWake Up,Girls!の姿にとても感化され、夢中になって曲を覚えた。

更に驚くべきことに、前述の研修時に同じ班だった同期には、Wake Up,Girls!をずっと追いかけてきた者がいたので、私は彼と共に2月には徳島までWake Up,Girlsを追いかけた。

 

そうして私は38日に行われたファイナルライブに行き、Wake Up,Girls!の最後を見届けた。

その9日後の317日に私も大手鉄道会社を入社から約1年で退職したのだった。

 

 

Wake Up,Girls!にハマる

・退職を決断する

Wake Up,Girls!が解散

・ハラカズヤが退職

ここまでが20194月までの出来事だ。

 




 

社会人2年目、ニートスタート。

 

そうして私は7月のエンジニア転職までの3ヶ月間、ニートになった。

ちなみに4月はアルバイト含め、2回しか働いていない。

 

ガチニートだ。

 

 

そんな私だったが、実は退職をする前20192月にインターネットビジネスをやって月収112万円稼いだと謳っている18歳の青年に興味があり、インターネットビジネスに片足浸かっていた。

これがまた面白くて、気になる人は調べてみてほしいが「ダイレクトレスポンスマーケティング」というビジネスモデルを使っており、私はこれに引き込まれた。

 

しかし、私は「インターネットビジネス」も「プログラミング学習」もどちらもやることは出来ないということに気づき、退職して直ぐの3月下旬はこのことで酷く頭を悩ませた。

 

そして当時の私は凄い張り切っており、直ぐにそのビジネスモデルで成功したという経営者に会った。

しかし、彼に会ったときに私は「インターネットビジネスで起業して、経営者に会うなどしている『頑張っている自分』に酔いしれているだけ」だと気づく。

 

 

そこで私は、インターネットビジネスかプログラミング学習かどちらをやるべきか迷っているところをプログラミングスクールの先生に相談したところ、

 

「インターネットビジネスをやるのも良いと思う。

でもそういう人の心を動かす言葉とかって人間の普遍的な部分で、同じことを言う人って自分の周りにいっぱいいる。だからこそいつまでもその活動を続けて稼ぎ続けたり信頼を集め続けるのはきっと大変なことだよ。

それと比べると収入面は劣るかもしれないけど、エンジニアは「一定の人にしか使えない技術」を身につける。

それって時代で必要とされる限り価値はあり続けるし、その「普遍的ではないちょっと可笑しな趣味みたいなものが生業なる」のが技術職の特権だと思う!それにエンジニアを志す中で身につけたもの、「ロジカルシンキング(論理的思考)」は、僕の人生で何をするときもずっと活きてきているよ!」

 

 

若干要約しているがこれに相違ない言葉を先生から頂いた。

私はこのときに「エンジニアになろう」と心に決めた。

 

そして46日、私は本格的にエンジニアだけを目指し始めたのだ。

 

 

 

その後も学習をしつつ、エンジニアを募集している企業に応募をしては書類選考落ちや面接で不採用になっていた。

 

なかなか結果を出すことが出来ず気分も落ち込み気味だったが、運良く7回目に受験した企業から内定を貰うことが出来た。

その日は625日。ちょうど7月になろうという時だったのだ。

 

本来ならこのタイミングで退職し、

それから転職活動をしていたはずだったが、早期退職をしたことがここに来て意味を成した。

 

 

私は625日、転げるほど喜んだのを今でも覚えている。

そうして私は20181022日から247日後、夢にまで見たソフトウェアエンジニアになることが出来たのだ。

 

 

 

・インターネットビジネスにハマる

・プログラミング講師から神対応されエンジニア一本で行くことを決める

・念願のエンジニアになる

ここまでが20197月までの出来事だ。

 




新生活スタート!!

 

そうして私はソフトウェアエンジニアとしてキャリアを再スタートさせた。

しかし、今までの仕事とは一転して「成果を上げなければクビ」というシビアな世界だったので必死になってしがみついていった。

 

そして、無事に課題を作り終え、9月に何事もなく1ヶ月の試用期間を終えることが出来た。

後に9月下旬からは実際のアプリケーション開発に携わることになった。大きな一歩をようやく踏み出すことができたのだ。

 

 

こんな荘厳な話の後にまたこんな話になってしまうが、

 

それから私のアニメオタクは進行し、更には「声優領域」まで達していた。

特に私が惹かれたのは「三森すずこ」という声優で、彼女が出演していたアニメロサマーライブ2017の「ドキドキトキドキトキメキス」の映像に胸を打たれ、

今年のアニメロサマーライブに三森すずこが出演することを知り、いち早くチケットを入手した。

 

私は彼女に影響され、彼女の出演していた「少女☆歌劇レヴュースタァライト」「ラブライブ!」なども視聴し、着々とオタクとしてのキャリアも形成していった。

 

そしてアニメロサマーライブに出演していた「BanG Dream!」のユニットである「Roselia」に感化され、97日から「BanG Dream!」の視聴も始める。

 

この頃には言うまでもなく私は声優好きのいわゆる蔑称で「声豚」と言われるまでに進化を遂げていた。

 

 

・エンジニア試用期間を終える

・エンジニアの実務に携わる

・三森すずこにハマる

BanG Dream!にハマる

・声豚になる

ここまでが201910月までの出来事だ

 




そして伝説はなんちゃらちゃらちゃら

 

そして今に至る。1029日から開設したこのブログは、現在30日間毎日更新され私の日常の一部となった。

 

ちなみに私がまたブログを始めようと思ったきっかけは、「金になる習慣」が欲しかったからである。

 

しかしながら、1129日現在の当ブログの売り上げは、1円。

うまい棒すら購入できない。

 

それでも私は毎日このブログを更新し続ける。

それは金のためでもあり、私のこのプロフィールの続きの物語を形成していくためでもある。

 

 

私はこれまで、

喘息+デブという大きな負債を抱えたり、

中二病になったり、

中学時代は仲違いが多い野球部に所属していたり、

過酷な練習で20kg痩せたり、

太鼓の達人にハマったり、

アニメで人生を変えられたり、

YouTuberをやったり、

大手鉄道会社に入社したり、

インターネットビジネスにハマったり、

エンジニアに転職したり、

声豚になったり、

 

私以外誰にも体験できないようなことをたくさんしてきた。

 

 

しかしそれはこれを読んでいるみなさんも一緒だ。

自分にしか体験出来ないこと、語れない話、そんなものが各々の人生には詰まっているのだ。

 

そんなものをこのブログで毎日更新していく。

 

 

だからこそ私は「ブログで書くネタがない」という人はいないと思うのだ。

自分自身で道を切り開いていけば、これだけ色々な素晴らしいもので溢れている世界なんだから。

 

私はこれからも新しい景色が見たいし、皆さんにもその景色を見せたい。

それが辛いものであっても構わない。

 

『頑張り続けることは身体には負担。でも何も頑張らないで生き続ける方がもっと苦痛だから。』

 

 

これはハラカズヤという偉人の言葉である。(?)

 

私はこれからも自分の人生に誇りを持って生きていく。

もし、何か感想があったら書いていただけると幸いだ。

 

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そしてこの「日刊ハラカズヤマガジン」はメールアドレスを登録すれば毎朝8時に更新される最新記事を見逃さずに読むことができる。

 

もちろん無料だ!そして変な勧誘メールが来ることは一切ない!これは私の個人運営ブログだから!

 

これからも私の人生と貴方の人生をより良いものにするために記事を書き残していく。

 

何故なら、自分を幸せにできる人間こそが人を幸せにできる人間だから!

 

ここまで読んでくれてありがとう。

他の記事も読んでいただけると幸いだ。




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