おはよう。
今日は社畜ではなく「ワークエンゲージメント」を目指せという話を書いていく。
(本日は書いている途中にタイトルが変わってしまった)
イントロダクション
私は高校2年生のときに既にアルバイトをしている友人が「俺、バイト週7ってもう完全に社畜だわ~」と言ったのをきっかけに「社畜」という言葉を知った。
前述の意味の通り、「会社の犬」のような存在がどうやら「社畜」と定義されているようだ。
さらに残念なことにその私の友人含め、世間的にはこの「社畜」という自覚を持って仕事をしている人が蔓延っている。
別に誇らしいものではないのに一体なぜだろうか?
それから社畜のことについて色々と調べたのだ。
そうして私は社畜の対義語であるこの言葉に出会った。
「ワークエンゲージメント」だ。
ワークエンゲージメントとは
この違いをお分かりいただけただろうか。
つまり、社畜は「I have to work(私は働かなければならない)」という心持ちで仕事をしているが、
一方でワークエンゲージメントは「I want to work(私は働きたい)」という心持ちで仕事をしているのだ。
それではどうすれば「社畜」ではなく「ワークエンゲージメント」になれるのか。
社畜と自称しない
私はワークエンゲージメントになるため、もとい社畜にならないためには、やはり「社畜」を自称しないことに限ると考えた。
実際に私の過去に勤めていた鉄道会社でも残業を多く引き受ける人は月に60時間残業をして社畜を自称していた。
そうして社畜を自称していると自然とその人は「俺は残業をやらされて可哀想な人間なんだ」という考え方になり、その考え方を私や周りの従業員にアピールするようになっていた。
社畜を自称して気合いの入る人であれば構わない。
だが、そんな人はそう居ないだろう。
もしもその人が「私は仕事が好きな社畜だ」と言うのであればそれは前述の「ワークエンゲージメント」に分類される。
社畜を自称しない。
その代わりに業務を進んで受けたいと思うほどに仕事が充実しているのであれば「ワークエンゲージメント」を名乗るべきだ。
何故なら単純に社畜よりワークエンゲージメントの方が響きをカッコイイのだから。
もう一つの社畜を生み出す原因
先ほどの月60時間残業を行う人の話に遡る。
一見して「残業を60時間行う可哀想な人」と捉えてしまいがちだが、
それはある意味「この職場で仕事するのは嫌ではない」ということの表明でもあるのだ。
そもそも、どうしてもやりたくない仕事であれば断るはずだし、嫌な職場であればさっさと退職するのが吉だ。
しかしそんな場所でも残業に取り組めるということは「仕事が好きではないが嫌ではない」という状態であるとも感じ取れる。
一体なぜそんな状態が起こってしまうのか。
そうして私は1つの仮説を立てた。
「もしも今の会社を辞めたら次の働き口がすぐに見つかるか分からないし、よく考えれば今の会社の人間関係に不満はないから辞めないほうが良いだろう、、」
という気持ちが社畜を生み出していると私は踏んでいる。
社畜であるにも関わらず、転職することが「どうしてもやらなければならないこと」ではないから辞めることができないのだ。
もしも会社が倒産しなくなってしまえば必ずその人は「I have to work(私は働かなければならない)」と既に思っているはずだから、
それなりに自分に合った仕事を探し始めるはずだ。
よって社畜から抜け出すためには「自分が社畜であることへの危機感」を感じられるかどうかにある。
自分を激務で苦しめる会社は倒産しないかもしれないが、その前に自分自身が倒産(死亡)しかねない。
最後に
以上が社畜ではなくワークエンゲージメントを目指すべきという話、並びに「社畜」が生まれてしまう理由である。
今社畜という自覚のある方は一刻も早く社畜を抜け出せるようなプランを考え、やるべきことを決めよう。
そうすれば必ず社畜からワークエンゲージメントへの道が開かれるはずだ。
やるかやらぬかは自分次第。
この記事を読み終わった後は、さっさとやるべきことを始めてしまおう!
ここまで読んでくれてありがとう!
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