私は前職を良い会社だったと思っているが、さっさと退職を決断しておいて良かったと心から思う。
イントロダクション
本日からちょうど1年前、2019年3月17日に私は大手鉄道会社を退職した。
2018年度に入社して駅係員としてちょうど1年ぐらい勤めた後の退職だ。
それから1年経ち、私の身には様々な変化があった。(というか退職してから何も変化をしていないというのならそれはただのニートだ)
現在はまだまだ至らない部分はあるもののしっかりと自社のアプリケーション開発に携わるようなソフトウェアエンジニアになり、収入も暮らしもだいぶ良くなった。
今日は1年経った今だからこそ話せる退職前の面白い話や退職後から今に至るまでの経緯などを書いてみたのでぜひ最後まで読んでいただきたい。
この記事は私が元々いた会社の皆さんに「ハラカズヤは今でも元気でやっている」ということを知らせたい文章であったりする。
だからこそ自分で言うのも変な話だが
非常にクリーンであるし、読んでいても退職の闇みたいなものを一切感じなくていいような文章だと思う。
是非ともこの「日本一清々しい退職から1年後の話」を読んでいただきたい!
それでは興味を持ってもらえるように先にこの記事の構成を下記に記載しておく。
記事構成
それでは早速書いていく!
入社から転職を決意するまで
残業は多かったが給料は多かった駅係員時代(o^^o)
余談だが「 (o^^o) 」この絵文字はとても可愛いと思う。(余談から文章を始めるブロガーがこの世界のどこにいるというのだろうか!?いや、ここにいる!)
そんなことはさておき、前述の通り私は2018年度に新卒で大手鉄道会社に入社した。
別にやましいこともないし、むしろこの会社での生活は楽しかったので社名を書いてもいいのだが、
逆に会社側から「こんな酷い記事を書くような人間がうちの会社にいただなんて信じたくない」と言われそうなので一応社名は伏せておく。
そして入社から2ヶ月後、私は東京都にある駅に配属され駅係員をやっていた。
これらが駅係員の主な仕事。
この他には、朝のラッシュの時間帯は人をすし詰め状態にして電車に押し込めるようなことをしたり、
夜の終電間際には駅のホームで爆睡している酔客を「お客さん!終電ですよ!!」と嘘をついて
終電でもない電車に乗せることも駅係員の役目である。
このように割と大変ではあったが、よくブラック企業で聞くような
社員を奴隷扱いして働かせるような上司なども居なかったし、サービス残業をさせられるようなこともなかった。
もしかしたら私の配属先が特別良かっただけなのかもしれないが、
「良いことをしている人間が評価され、悪いことをしている人間が淘汰される環境」が出来上がっていたので割と居心地は良かった。
ただし残業はそれなりにあったと思う。
大体月に平均して40時間ぐらい。
とはいっても残業100時間するような会社もあるような世の中なのだからこれもだいぶマシな方なのかもしれない。
そしてそれだけ働いた月は様々な社会保険をなり、なんなりを引かれても
手取りで22万円ぐらい残るような状態。
当時18歳の私はこの額を手にして最高に遊び呆けていたと思う。
そして何よりも最高だったところは、ほとんどの確率で有給が取れるということだろう。
後述するが、私は有給を使いまくっていたが故に退職時には7日しか残っていなかったのだ。
話せば長くなるので簡潔に説明するが、駅係員には国民の休日も関係なくシフト勤務するので
「3ヶ月に5日間」の特別な有給のようなものが用意されており、
なので私は一年目にして30日程度の有給を持っていながら最後には7日しか残っていなかったという状態だったのだ。
これは相当私の前職がホワイトだったことが証明される文章でもあるだろう。
それではどうしてそんな割とホワイトだった前職を私は辞めたのか。
ここからストーリーは急展開を迎える、、!(というほどたいそれたものではない)
8月のボーナスでパソコンを購入!それをきっかけにスタバでドヤ顔作業に憧れて副業を始める☕️
働き始めてから4ヶ月。人生初の賞与をもらった。
その額は確か8万円。
数字だけ聞くと大したことがないように聞こえるかもしれないが、
こう考えるとこの収入はかなりデカイ。
そうして私は考える間も無く、surface book を購入した。
そして運よく当時のツイートが残っていたのだ。
イキリオタクになればイキる為に10万は出せる。 pic.twitter.com/eAS9NI5N6A
— 東京貧困一人暮らし20歳若者 (@naNfg63) October 8, 2018
このようにして私はカッコいいパソコンを購入して、
カッコいい副業をやってみたいと思うようになったのだった。
「カッコいい副業でなんやねん!!」と思う人も多いと思うので、
当時の私がカッコいいと思っていた副業を下に羅列しておく。
このブログを何度か読んでいる人はご存知の方もいるかもしれないが、
元々私は「フリーのイラストレーターになって兼業でエロ漫画家になること」を夢見ていた。
そのため、このパソコンを買うという行動もそのプロセスの一貫に過ぎなかったのだが、
私は「パソコン使う 副業」と検索するうちに様々な職種に刺激を受けてしまったのだ。
まずはブロガー
今でこそ私はまさにブロガー的な人間になっているが、
実は2018年の10月ごろから既にはてなブログにてブログを書いていたのだ。
まあ、当時は適当に始めたので1記事だけ書いて挫折。
続いてYouTuber
私のようなキッズが最高に憧れる職業だが、
こちらは当時大企業勤めだったということもあり、「顔出ししてバレたらどうしよう、、、」
などと杞憂があまりにも多かったので断念。
そして最後に残ったのは綾鷹でした。(完)
と行きたいところだったが、意味不明なので本題に戻る。
そう、最後に残った副業こそ、
現在の本業である「エンジニア」だったのだ!
こうして私は誰もがプログラミングの勉強を始めた際の登竜門であるProgateに出会い、
「プログラムなどよく分からないがパソコンを使った副業になるなら」という適当な考えから副業エンジニアを目指し始めたのだ。
まあ、当時の私はまさか1年後に本業がエンジニアになっているなんて思ってもみなかっただろうに。
プログラミングスクールに出会って転職を決意!
それから私はプログラミング学習を始めた訳だが、ある程度Progateをやってみたところで
「じゃあどうやって仕事にするの??」という謎に陥った。
そこで見つけたのが「侍エンジニア塾」の体験学習だったのだ。
それから私は「副業で稼ぐための方法教えて貰っちゃお!」と適当な思いを持って体験学習に参加したのだっただが、
しかし、実際に行ってみると体験学習というより「ハラさんはどんなエンジニアになりたいのか」ということをきかれるカウンセリングで
普通の人であれば「全然言ってることと違うじゃねえかよ!」と怒るところなのかもしれないが、
私は思いのほかこのカウンセリングで私の知らなかったエンジニアの魅力を紹介されて、
本来は副業でエンジニアを目指すはずが「本業でエンジニアになること(要するに転職)」が
メインの侍エンジニア塾の70万円するコンサルティング」を2つ返事で購入したのだ。
結果的に私にとって侍エンジニア塾での学習は非常に満足度も高く、無事転職ができたので良かったが、
実際にこのように何も考えなしに70万円の商品を購入することは誰にもオススメできたものではない。
今思えば本当にラリっているとしか言いようがないことだと思う。
普通、1ヶ月前に始めたプログラミングで「それを生業にしましょう!」と言われて2つ返事で70万円差し出す馬鹿がこの世にいるだろうか?
いや、ここにいる。
しかしながら皆さんはよく考えて行動していただきたい、、、
まあ、そんなラリったこともあり、私は当時働いていた鉄道会社には内緒で
侍エンジニア塾のコンサルティング担当の方と半年後にエンジニア転身する計画を立てて、
転職することを決意したのだった。
転職決意後~退職まで
堀江貴文の本を読んで意識高い系に進化!当時社内PCに書き残していた「意識高い系ポエム」が社員の誰かに読まれる事故が発生!
しかし、プログラミングスクールを申し込んだからといって直ぐに学習が始まるという訳でもなく、
侍エンジニア塾はマンツーマンレッスンのため、その講師を探している間2ヶ月ほどはプログラミング学習をしなくても良い時間があったのだ。
だから私は「もう1年も勤めることのない会社だからプログラミング学習が本格的に始まるまでは今の仕事に尽力しよう!」
と思ってのんびりと駅係員生活をしていくつもりだった矢先、次なる刺激が私を襲う。
それがホリエモンこと、堀江貴文だったのだ。
これとの出会いは夜中のテレビ番組にて。
駅係員は終電を見送ったあと深夜1時から4時頃まで休憩があり、その時間仮眠をとっても起きていても良かったのだが、
私はほとんどの場合、休憩室にあるテレビを見ていることが多かった。
それで深夜のなにかの番組に出ていたのが堀江貴文だった。
それまで私は彼のこと全く知らずドラえもんの仲間かなにかかと思っていたのだが、
そのテレビ番組をみて彼を初めて知ることとなった。
まあ前半は彼のいわゆる「堀江節」が炸裂しており、テレビ番組のスタッフに「うざいから話しかけるな」などと言っており、
「彼はなぜこんな汚い言葉を使えるのだろうか?」若干引いていたのだが、
番組の後半で彼がバク転を成功させ、笑顔で「僕は毎年やりたいと思ったことは3つ必ずやるって決めているんですよ」というシーンで私は感銘を受けた。
そして見事にその番組の思惑通り「堀江貴文とは一体どんな人物なのだろうか?」と思い、
番組の最後に紹介された「多動力」という本を購入したのだった。
それから私は彼の著書に記述されていた考え方にとても感化され、自分自身でも「堀江節」なる文章を記述するようになった。
そして1年経った今だからこそ話せることだが、それを駅の改札業務中にも社内PCの自分用のフォルダに書き残していた。
そしてこの章のタイトルにもある通り、社内PCの個人フォルダは誰でも閲覧可能であったため社員の誰かに読まれ、
副駅長から「なんかお前のフォルダに日記?みたいなの書いてるらしいけどよぉ~、社内の誰かがみてありゃマズいと思ってるらしくてよぉ~だからあれ消しといてぇ~」と直々に言われたのだった。
当時は恥ずかしい思いをしたが今考えればただのブログのネタに過ぎない。
結局、誰に読まれたのかは分からずじまいで私は退職したが、私の堀江節は果たして誰が読んでいたのだろうか?(笑)
プログラミングスクールのレッスンを1回やっただけで退職宣言!あと先を考えない私の行動に母は激おこ!
それから侍エンジニア塾の方から「マンツーマンの講師が決まったので学習が開始できる」と連絡が来て、2019年1月にようやく私のプログラミング学習が始まった。
そして初めてのマンツーマンレッスン日が1月24日。今でも鮮明に覚えている。
私の講師をしてくれた方は「現役の名門大学院生でありながらフリーランスエンジニアとして活動している地頭も良い超優秀なエンジニア」だったのだ。
もう肩書きだけ聞いても強そう。
そして初レッスン日、私は講師と共に学習目標を立て少しだけプログラミング学習を行い、その日を終えた。
だけだったのだが、
私は何を思ったのか、その日のうちに母に「俺、プログラミング学習に専念するから今すぐ会社辞めるわ!」とだけ言い残し、
翌日に駅長(直属の上司)に退職する旨を伝えた。
しかしながらそれまで会社を辞めたいような話をしていなかったが故に駅長からはとても驚かれ、
「まだ若いんだからもう少し考えてみてほしい」と一旦保留されたのだった。
それにしても当時は何事も勢いで走り過ぎていたと思う。
そしてもちろんのこと母からは呆れられて「土下座してでも今から(会社名)に戻った方がいい」などと言われたが、
やる気に満ち溢れていた私にとってこの言葉は余計退職を促進させるトリガーとなり、そう言われた翌日に駅長に「思いは変わりません。退職します!」と告げた。
退職決意から退職決定までにかかった日数は僅か「4日」
素晴らしい行動力だ(?)
それから私が退職することが決まると上長には私の退職の話が広まり、
副駅長から「お前有給何日残ってるんだよぉ~」と聞かれて全て消化して退職する日程を立ててもらったのだった。
いや~しかし、辛い思いをして退職した人には本当に申し訳ないが、
これほどまでに清々しい気持ちで退職した人間は私のほか居ないと思うほどまでに気持ちよく退職したと思う。
見ず知らずの18歳の青年から59,800円の情報商材を購入!「俺、月収100万円になります!」と社内で言いふらして退職!ニート化する!
それから2月終盤、そろそろ退職する旨を先輩や同期にも伝えるべきか迷っていた頃に私はTwitterで
「18歳で月収112万円稼ぎました!」という胡散臭い青年に出会う。
結論から言うと彼は「Twitter、YouTube、メールマガジン」を用いて情報商材を売るWebマーケターだったのだ。
よく「情報商材」という言葉を聞くだけで「詐欺だ!」という情弱な人間もいるが、
現在でも彼はマーケターとして実績を重ねているような優秀な人間であり、私は彼を詐欺をする人間だと見分けた訳ではないが、本当に彼の情報商材は胸を打つ内容だった。
今でもTwitter等で「18歳 月収112万円」と検索すれば彼が出てくるのではないかな?
気になった方は検索してみるといいかもしれない。
まあ、そんなこんなで私はプログラミング学習をしているにも関わらず、彼がそのときに売り出していた情報商材を59,800円で購入したのだ。
それで、その内容を読み込んだ後に私は
先輩や同期たちに「ぼくインターネットビジネスで月収100万円稼ぎます!で、もしそれがダメだったらエンジニアになります!」と言いふらして退職したのだった。
あの頃は本当に色々な先輩に「なんだこいつ?頭逝っちまってるんじゃねえか?」と思われたことだろう。
申し訳ない。
しかしながら先輩方、安心してほしい。
ハラカズヤは今でも至って冷静だ。その冷静さは冷製パスタ並み。
そして結論から言うと私はこのインターネットビジネスで成功できず、
というかやる前からなかなか迷いがあり、
長ったらしくなるので割愛するが、とある経営者と会って「私が本来やりたいのはマーケターよりエンジニアだわー」と再確認することによって、
「月収100万円のマーケターへの道」は諦めたのだった。
色々あり過ぎたが、これが私の退職するまでの出来事。
退職後~現在に至るまでを書くつもりだったが、、、
そしてここからは「実に華々しいハラカズヤがエンジニアになっていった軌跡!!」のようなタイトルで
ドキュメンタリー番組っぽく現在に至るまでの話を紹介したかったが、もうこの記事の長さも7000文字超になってしまったので、
今日は一旦ここで幕を閉じるとする。
しかし安心して欲しい。
当ブログの持ち味は毎日更新していること。
明日の朝になれば「私の現在に至るまで編」が完成しているはずだ!
ぜひそちらも楽しみに待っていてほしい。
最後に
そして退職から1年経った今、どうしてもこの記事で伝えたかったことを最後に書こうと思う。
私にとって前職の思い出は一生モノの価値のあるものだったし、
辞めてからこの1年、一度も未練がましいことを感じたこともない。
それは前職の皆が「月収100万円稼ぐぜ!」などと言っているクソガキを
バカにせずに私の背中を押してくれたからだと思う。
そして現在、私はエンジニアになって自分のやりたかったことを実現できた。
だからこそ私は前職を良い会社だったと思っているが、さっさと退職を決断しておいて良かったと心から思う。
大手鉄道会社さん、最高の1年をありがとう!
そしてこれからも私の居たこの経歴が賞賛されるように日々の実績を積み重ねていく!
これが退職から1年経ったら私がインターネット上に公開したかったものだ!
本当にありがとう!
そしてこんな風に清々しく退職を迎えることができる人が増える世の中になっていけばいいなと陳腐な幸せを願うハラカズヤであった。
ここまで読んでくれてありがとう!
そしていい感じの締め方になっているが、明日は退職後からの話を書くのでそちらもみていただきたい(笑)
また明日お会いしよう!