【明解】お前が苦しいのは全部お前のせい

 

荊棘(いばら)は強硬な身を持ち、我々に制裁と「じんせいの躾(しつけ)」を致す。その如く、我々もまた強硬な心持ちではないか。

 

 

イントロダクション

 

昔の私は自分の失敗をなんでも人のせいするような見苦しい人間だった。

 

例えば私は中学2年生の時に成績が不登校と同じかそれ以下の人間だったのだが、

その原因を母親に聞かれた際には「担任の教師があの人でなければ私は真面目に勉強していた」と担任の教師のせいにした。

 

しかし、今思い返してみれば当時の私は

根本的に勉強ができないゴミで

そのゴミである事象を解決しようともしないゴミだったので成績が悪かったのだ。

担任教師がどうとかの問題ではない。お前がゴミだから成績が悪いのだ。

 

という情けない過去を持ち、

私は冒頭でも紹介した文章を私の座右の銘の1つとして作成した。

 

荊棘(いばら)は強硬な身を持ち、我々に制裁と「じんせいの躾(しつけ)」を致す。その如く、我々もまた強硬な心持ちではないか。

という文章だ。

 

 

これは一見して意味のわからない文章だし、私自身も国語的な意味を

理解しないまま適当に書いたのだが格好良いのでこのまま使っている。

(恐らく本当の文学者が読んだら支離滅裂すぎてブチギレることだろう)

 

この文章を簡単に翻訳すると

 

生きていると苦難や課題に直面することがある。
しかし、本当に自分を苦しめているのはその苦難や課題ではなく「苦しいと思っている自分」なのではないか。

 

ということである。

 

 

お分りいただけただろうか?

 

私たち人間は苦難や課題そのものに苦しめられているのではなく、

その苦難や課題を苦しいと思っている自分によって苦しめられているのだ。

 

なんか段々と宗教じみてきたが、まあ宗教で相違ない。

これは完全にハラカズヤ教だ。

 

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しかしこのハラカズヤ教の第一条(まだあと2つある)は意外にも様々な場面で使える。

 

 

例えばスーパーマーケットのレジ待ち。

混んでいれば一般人は「レジ打ちおせーよ!早くしろよ!」と不満を抱えるかもしれない。

 

しかしハラカズヤ教である私はどうだろうか?

 

「このスーパーマーケットを選んだ自分がバカだった、、次は混んでいるであろうこの時間には来店しないようにしよう。」と全て自らに怒りの矛先を向けることができるのだ。

 

こうすることで多少は落ち込むかもしれないが、

次はスーパーマーケットの利用時間を変えるなり、なんなり、コロ助なりして改善することができる。

 

よってこのスーパーマーケット内で起こる「レジが混んでいる」という苦難も

考え方次第では何も苦しむことではない。

 

 

タイトルにもある通り、このような状況で怒ってしまうような低脳な人間には

「お前が苦しいのは全部お前のせい」と言ってあげた方が良いだろう。

 

 

それに都内ならわざわざそのスーパーマーケットを使わなくても

そのすぐ横にコンビニエンスストアが設置されていることが多いし、何なら自宅までUberEatsに配達して貰えばいい。

 

キレる要素など何処にも見当たらないのだ。

 

 

是非とも当ブログを読んでいるような賢い皆さんには

「自分に責任を感じて改善方法を考える」ということを毎回やっていただきたい。

 

そうすれば人間は無の境地にたどり着ける。

 

 

 

最後に

 

以上が「お前が苦しいのは全部お前のせい」ということであった。

 

後半は完全に悟りを開いてしまって申し訳ない。

 

 

しかし、これらのことを実践できれば本当に心労はなくなるのでぜひ暇な時にやってみてほしい。

 

今日の記事は以上で終わりとする。

 

ここまで読んでくれてありがとう!

 

また明日お会いしよう!

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