こんにちは、ハラカズヤ(@naNfg00)です。
今日は「友人は不要なのではないか?」と思う節があったので、今日は友人が不要であると私が考える理由を書いていこうと思う。
友人が有用であると考えている人はぜひ最後まで読んでいただきたい。
私が友人が不要だと考える理由
私が友人が不要だと考える大きな理由は、
物事を決定させるまでにかなりの工数がかかる
ということである。
例えば、1人ならば焼肉が食べたいと思った時に
その時間が7時だろうが、17時だろうが、25時だろうが適当な時間に食べることができる。
しかし、友人がいる場合はどうだろうか?
まずはじめに焼肉を食べるか寿司を食べるかなど「何を食べるかの討論」から始めなければならない。
そしてその討論で勝ち抜き焼肉を食べることを決めても、次は場所の選択を人間の数だけ意見を迎合しなければならない。
人によっては「金がないから高い焼肉は食べれない」などの意見があり、私が想像していた美味しい焼肉が食べれないかもしれない。
よって、何を決めるにしても人数が増えれば増えるほど自分のイメージ通りの行動が取れなくなる。
だからこそ私は友人不要説を唱えたい。
勉強の妨げにもなる
そして私のブログを読んでいる方なら分かる通り、我々意識高い人間にとっては時間は何よりも大切なものだ。
そして学習時間は何としても捻出しなければならない。
しかし、友人がいたらどうだろうか?
私の経験上、友人と居て勉強が捗ったことは一度もない。
それ以降、私は友人とどうしても遊びたいのであればその前に必ず今日中に終わらせる予定の作業を済ませてからにしている。
よって友人と学習など絶対にやるべきではない。学習は孤独でやるからこそ価値を見出すことができるものだ。
最後に
よって友人は不要である。
しかし、私にも月並みに友人はいるので言葉を選んで言うので有れば、
何かしらの分野で結果が出したければ人間関係にも利害を考えて関わるべきだ。
ということである。
ちなみに私は現実の友人関係もSNSの関わりも、ネガティブな発言ばかりする人間は意識的に避けている。
何故なら、私にとってそのような人は私にとって無利益だからだ。
そしてネガティブな人にとって私のようなポジティブな人間は「Yesマン」だと揶揄されるし、お互いに関わっていても何の利益もない。
なので私はいくら過去の親交がある人間でもネガティブな思考の持ち主とは関わらないようにしている。
皆さんも友人関係を見つめ直す機会を設けて是非とも心労の少ない人生を送っていただきたい。
今日の文章は以上で終わりとする。
ここまで読んでくれてありがとう!
また明日お会いしよう!