
おはようございます、ハラカズです。
約束通り、本日からメールマガジンの内容の一部を書いていこうと思います。
って、思ったんですが、、、、、
今日は「胡蝶の夢」について語らせてもらっていいっすか?????
胡蝶の夢ヤバヤバのヤバ
『我々が思っている「夢」側が現実で、「現実」側が夢。』
という理論?を「胡蝶の夢」というらしいですが、中二病には堪らない解釈ですね。
いまこのTwitterをやっている「現実」だと思っているものが、本来の「夢」ならば、私が眠ったときに時折見る「夢」というものは何なのか。
固定観念破壊。
— ハラカズ@高卒オタク系エンジニア (@naNfg00) October 12, 2020
まさに、固定観念完全破壊。
この考え方の素晴らしさはもう計り知れないものですぜ。
あなたが今、私のブログを読んでいる「現実」だと思っているものが、本来の「夢」であり、
あなたが今日、眠っている最中に見ていた「夢」だと思っているものが、本来の「現実」である。
という考え方です。
んん、好き。
胡蝶の夢に対する考察
ここで私は色々と仮説を立ててみました。
それは「夢と現実は固定観念ごと真逆なのではないか」ということです。
それでは実際に私たちが本来「現実」だと思っているものを「夢」だと考えて、
私たちが本来「夢」だと思っているものを「現実」だと考えて特徴を洗い出してみましょう。
夢の特徴
・現実に比べて自制が利きやすい
・五感が最大限に使用可能である
・記憶する能力が現実に比べて高い
・全ての記憶を現実終了後も途切れることなく持続できる
・現実のための成長が行える
・現実のための学習ができる
・全て同じ人物を操作できる
現実の特徴
・多くの場合、夢内で「睡眠」という行為をした際に入ることが出来る
・夢に比べて自制が利かない
・記憶の多くが断片的である
・終了後、夢内で記憶していられる時間が非常に短い
・五感が不自由の場合が多い
・ほとんどの場合夢と同じ人物を操作する
・1度の滞在時間が短い
謎が多い方が「現実」、私たちは「現実の方が大変で夢の世界は良いことばかりだ」なんていう風なこということがありますが、果たして本当にそうだったのか。
寝ているときにうなされたり、怖い夢を見たり、上記の「現実の特徴」にも書いてある通り、夢に比べて自制が利かなかったり。
ここで私は1つの仮説を立てました。
人間は都合の良い方を「現実」と考えたくなるので、その特性を皮肉って、人間はコントロールしやすい本来「夢」である方を都合よく「現実」と呼ぶようになった。
そして、都合が悪かったり、自制や記憶能力が乏しい、その自分が弱々しく愚かな世界を「夢」と呼ぶようになったのではないか。
ということです。
ここまでの夢というのは、こちらの表現。
そして面白いことに人間にはもう1つ「夢」という表現を使う場面があります。
「将来の夢」とか「大人になったときの夢」というこちらの表現です。
まさにこれも先ほど書いたような「都合が悪かったり、自制や記憶能力が乏しい、その自分が弱々しく愚かな世界」に近いと思いませんか?
普通に達成出来る未来が予測できる1ヶ月後とかのものであれば、人間はそれを「目標」と呼びます。
ですが、10年後20年後の「自分がどうなっているか分からないもの」に関しては「夢」という表現を使うのです。
つまり何が言いたいかというと、
人間は「都合よく自制が利かない未来」のことを本物の現実になぞらえて「夢」と呼称する。
ということでしょう。
人間は私も体験して素晴らしい生き物であることに違いありませんが、どこかそのような愛おしい「醜さ」も持っているということなのでしょうね。
面白いことこの上ありません。
胡蝶の夢グゥゥレェェェェェェェェィトだぜ!!!
いやあ、胡蝶の夢のお陰で人生が19,285,839,558倍楽しくなりました。
まじで荘子に感謝。マジガチガチマジありがとうサンキューサンキュー。
更に、私はこれに付け加えて「人間は現実の中で成し遂げねばならない使命があるから生まれてきた」という目標の仮説を立てました。
だから今後はこちら側の世界で睡眠を行った際には、しっかりと「現実」を噛み締めて「成し遂げねばならない使命」を探っていきます。
それでは本日の記事は以上で終わりにします。
ここまで読んでいただきありがとうございました!
(終わり)